人生の節目に寄り添ってきた北の玄関口

こんにちは。
写真は東京都台東区、「JR上野駅 駅舎」です。1932年(昭和7年)に竣工しました。
1923年の関東大震災で初代駅舎が全焼したことを受け、2代目駅舎として建設されました。その後の戦災を免れた数少ない大型建築のひとつです。
鉄筋コンクリート造による堅牢で実用性を重視した構造は、駅務本位の思想を色濃く反映しています。重厚で端正な外観は、現在も巨大ターミナル・上野駅の「正面玄関口」として存在感を放ち続けています。
鉄道省技師・酒見佐市(さけみ さいち)氏を中心に十数名の技術者が設計を担当し、鹿島組(現;鹿島建設)が施工しました。都市の玄関口にふさわしい“強さと合理性”を備えた駅を目指し、耐火性・耐震性・防水性に細心の注意が払われたと記録されています。軟弱地盤と湧水に悩まされながらの大変な工事だったそうです。
乗車口と降車口を上下に分離し、人と車の動線を徹底的に分けた“立体駅舎”は、当時として非常に先進的でした。都市交通の未来を見据えた設計思想が、この駅舎には息づいています。



そして上野駅は、単なる交通拠点ではありません。長く東北・上越・常磐方面の北の玄関口として機能し、地方から東京へ向かう多くの若者がここに降り立ちました。新たな人生のスタート地点であり、故郷へ帰る列車が発着する場所。人々の心の中で“旅立ちと帰郷の象徴”として刻まれてきました。


上野駅は希望と不安が交差する場所であり、他のターミナルにはない独特の“情緒”があります。東京の中でも、これほど多くの人生の物語が集まる駅は無いように思います。その象徴として、不忍口には「あゝ上野駅」記念碑が今も静かに佇んでいます。
新幹線の発着は東京駅が主流になりましたが、上野駅は依然として重要なターミナルです。地下4階まで広がる巨大な地下都市には商業施設が充実し、駅ナカ文化の先駆けともなりました。

さらに上野公園・博物館・美術館への玄関口として観光客で賑わい、上野駅は「交通の節点」から「文化と観光の節点」へと役割を広げています。戦後復興から現代の文化拠点へ──その変遷は、日本の近代化そのものを映し出す鏡のようです。震災復興と日本の将来への想いの詰まった上野駅。これからも、人々の記憶とともに今のままの姿であり続けてほしい建物です。
【補足】
新幹線開業に合わせて地下構造は大幅に拡張されました。壊して建て替えるのではなく、歴史を抱えたまま増築・改修を重ねてきた駅でもあります。1989年には超高層駅ビルへの建て替え計画も提案されましたが、規模の大きさとバブル崩壊が重なり廃案となりました。結果としてこの駅舎が残ったことを、今は心から良かったと思います。
【追記】
私自身も地方からの上京組で、寝台夜行列車で上野駅に降り立ち東京での生活が始まりました。あの時の空気感や匂いは今でも鮮明に覚えています。上野駅は、特別で懐かしい駅です。まさに「あゝ上野駅」の歌の通りです。
「どこかに故郷の香をのせて、入る列車のなつかしさ、上野は俺らの心の駅だ、くじけちゃならない人生が、あの日ここから 始まった・・・」

シリーズ「時空の肖像」は、古き良き建物等をモノクロ、横長のパノラマ写真として撮影し、その歴史や開発者の想いについても振り返る写真シリーズです。
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